弱視大学年生の活動日記

普通に生きられることの幸せを感じたい。ちっぽけなことで悩めるようになりたい。

失明する大学生3年生の遺書〜ありがとう、そしてさようなら〜 

これを読む頃には私はこの世からいなくなっているでしょう。というセリフで大体の遺書は書かれるのではないかと思います。でも、私の場合、これを読む頃には私は目が見えなくなっていることだと思います。タイトルに遺書なんて書いてセンセーショナルなものにしてしまってすいません。読んだ方には、「タイトル詐欺で読ませたいだけの演技だろ。」と思われると思います。十分わかっていますし、おっしゃる通りです。私の目的は1人でも多くの人にこれを読んでもらって自分が何不自由なく生きているなら健康に産んでくれたご両親に感謝の気持ちを伝えてほしい。難病や生きることに苦しんでいる、人生の目的を失っている方であれば、日本に20歳で突然失明して絶望している私が体験した地獄のような経験をもとにあなたが一人じゃないこと、あなたと同じように苦しんでいる人がいることを知って欲しい。そして、何となくで見ている方へ、明日あなたはどんなことをしていると思いますか。普通に起きて、テレビやスマホYouTubeツイッター見て、友達と遊んで、勉強、スポーツなどでしょうか。世の中に100%保証されていることなんて何もありません。明日あなたが生きれているかも分からない。見えているかも、動けてるかも。だからこそ、今こうして普通に生きれていることを当たり前と思わず、何気ない日常を生きていることの幸せを精一杯感じてほしい。

 

 そもそも何でこの遺書を書いているかというと、昨日の病院での診察結果が大いに関係しています。昨日もお話しした通り、私は前回失投してくださった先生が体調が悪くなってしまい、診療所を閉めてしまうので、その先生の師匠にあたる先生が院長を務める病院に診てもらうことになりました。14時に病院について、初診のため一通りの検査が終わったのが大体2時間30分後。その後、診察を受けるのですが、当時院長は手術中で別の先生が見ていたのですが、やたら何度も目の中を覗き込んでは悩んでる。そして突然2人目の先生のところに行かされて、見てもらうとどうやら目の中に入れたシリコンオイルが混濁して仲が良く見えないとのこと。結局、院長が最終決定を下すまで待つことに。すぐに来ると言われたのに、40分ぐらいかかりました。正直、自分でも何となくもう助からないんだろうなと悟りました。前の病院で一応網膜はくっついて入るが、増殖膜は増えているだろうから長期戦んいなるとは言われていましたが、院長の説明を聞いて絶望に叩き落とされました。先生曰く、「網膜の皺が増殖膜が増加したことで難治な状態で、ここの病院だけではできない。やるとなると、目の内側と外側の両方から行う大手術になる。病院を1日締めて、大学病院で6、7時間を要することになるので全身麻酔になると思う。成功したとしても1度では治らないだろうし、回復しても視力はコンタクトやメガネでも0.2が限界だと思うので文字を見たりすることはもうできない。3回も大掛かりなことをしているので本人ももうきついだろうし主述をしないというのも手だと思う。」と言われました。院長先生は日本でもトップクラスの網膜剥離の先生なのでもうこの先生にこんなことを言われてしまえばもう目の回復は無理だろうと思いました。

 

 「今まで何だったんだろう。」自分は母親や先生がいる前で泣きまくりました。ハンカチを使っても隠せないほど泣きました。こんな痛い思いして、何度も治ると思って頑張ってここまできたのに、最終的な結果がこんな仕打ちになるなんて。自分の考えが甘かったのもありますが、やっぱり死ぬほど辛かったし、しばらくは何も考えられませんでした。先生が去ろうとした時、振り絞って「手術をしなかったらどうなるんですか。」と聞いてみました。そうすると、「徐々にオイルの濁りが激しくなって見え方が白くなっていくと思う。見た目も目が濁るから外見にも影響が出るから、カラーコンタクトで対処するほかないだろう。」と言われました。

 

 時間も最終診察の時間ぐらいいだったのでもう誰もいない待合室に戻ってトイレに行って1人で泣きまくりました。もう右目は治らず失明するのか。これからどうすればいいんだろう。左目はいつ失明するのか。全盲になったらどうやって生きて行けばいいのか。数十分の診察の後でこれだけの疑問に押されて耐えられませんでした。会計を終えて、駅に向かって歩いている時も歩くたびに涙が出て前がぐちゃぐちゃでした。「失明したら、泣いてもこんな景色すら見えないのか。」と思うと余計に涙が止まりませんでした。母親は無言で駅まで歩いていて、その速度に追いつくことすら肉体的にも精神的にもきつかった。駅のホームで、「手術どうする。」と聞かれた時、心身ともに死んでいた私は「もういい。」と言いました。母はしばらく無言でしたが、数分して「よく考えよう。」と言いました。それを聞いて、母に対して憎悪の気持ちが込み上げました。「こんな体に産んだくせに。何度も何度も治るから手術しようと言って手術してこんな有様の自分の気持ちなんて微塵も分からないくせに。手術がどんなに怖くて、痛くて、しんどいか知らないくせに。偉そうなこと言うなよ。」人生でここまで母親を憎んだのは初めてでした。

 

 でも同時に申し訳なかった。自分がこんな体で無まれたばかりに3歳から大病院に行かせてもらってその都度お金を支払ってもらったのに、自分が高校、大学共にに私立に行かせてもらったことで母親に仕事をしてもらって生計を支えてもらったのに、自分の好きなことを文句言わずにやらせてくれたり、そのために母は自分の好きなことを我慢してくれのに、手術のたびに多額の費用を払ってもらったのに心配をかけまくったのに、結果として残ったのはもう治ることができない失明する息子。「自分なんて生まれて来なけりゃ良かった。結局、母親にとって荷物でしかなく、心配や負担しかかけない存在でしかないじゃん、俺。」と思いました。

 

 家に帰ってからも何も考えることもなく、汗まみれの体をお風呂にぶち込み、味もしないご飯を胃の中に入れて自分の部屋に篭りました。食事の時に、母が何も言わず横にいたのが余計に辛かった。「自分もセミみたいに短命だったらどんなに楽だったろう。」と馬鹿みたいなことも考えてしまいましたが、正直そんなことでもしないとまた泣いてしまいそうできつかった。母親も自分が昔から泣き虫でいたいことにはめっぽう弱いことを知っていたので何も言いませんでした。

 

 自室に戻って、最近買った全盲のパラアスリート初瀬勇輔さんの本を改めて、自分も何かできないかな〜なんて思って、何となく自分が見えるうちにやりたいことや絶望の気持ちをノートに書き殴りました。そうすると、ほんの少しだけ楽になった感じがしました。楽というより諦めですかね。「もう見えなくなるのか。」と整理がほんの少しできました。自分の目に大好きな家族が、好きな人が、友人が眼いっぱいに映ることはもうないのだ。むしろ、何も見えなくなるのだという辛さに向き合わなければならなくなりました。外見もコンプレックスになるのかとネガティブなことでいっぱいでした。

 

 自分で言うのも大変おこがましいのですが、友人からは「お前はイケメンでいいよな〜、何すればそんな風生まれるんだよ。前世で相当いいことしたんだろ。」なんて言われますが(友人曰くハーフみたいな顔立ちらしい。)、私からすれば、「普通に見えるお前らの方が何百倍も羨ましい。俺はただ見たいだけなのに、苦痛を伴ってももう叶わない。イケメンだろうが視力失ったら何も意味ないし。むしろ、前世で相当な悪行を働いだのではないか。」と言う気持ちしかありませんでした。友人にはこの失明のことには話していないのですが、まだ話すには気持ちの整理がついてないのでしっかり前を向けることができたときにゆっくり話そうと思います。

 

 今のところ最終的な手術の決断は決まってないのですが、自分の中ではもういいかなと思っています。何度も手術してはやり直しで今回もその気配しかないです。というか、名医にあんなこと言われたらもう無理しょう。何より、これ以上自分も苦しみたくないし、母に金銭的にも精神ん的にも苦しめたくない。自分の意思で手術を諦めると言えば、母も意思を尊重してくれるかな〜なんて思ってしまいます。これを書いている今でもここまで書くのに何十回泣いたことか。死にたいと何度思ったことか。まあ、死にたい気持ちが完全にないわけでもないんですけどね。笑

それでも、自分と同じ絶望の底に叩きつけられている人を助けたいと言う気持ちも同時に強くなりました。目が見えていた時は「大企業に行けば勝ち組!」ぐらいにしか思っていなかったのが、失明すると「人生って儚いな〜生きれている今にできることをやって1人でも多くの人の役に立ちたい。日本の障害者環境を良くしたい!」と思うようになりました。

 

 ここまでつらつら書いて結局何が言いたいかというと、こんなに絶望の底に叩きつけられたとしても、「まあ生きていこうかな?」くらいには人間やっていける可能性があると言うことです。

 難病と戦っている方やうつ病に苦しんでいる方、誰にもわかってもらえない苦しみを持っている人からは、「たかが目が見えなくなるだけで。世の中にはもっと苦しいこともある。」と思う人もいるでしょう。そうだと思います。難病であれば、何年の痛みを伴って手術して、それでも治らない苦しみを死ぬまで味わい続けることもあるので、手術をやめるという逃げの選択肢がある私は楽な方かもしれません。

 でもこれだけははっきり言います。人間は当たり前にあったものを途中で失った時に絶望する。昨日まであったものが突然、今日失った時みなさんは耐えれますか。それでも生きていこうと前を向けますか。明日、あなたが見えることも、動くことも、生きることもどこにも保証はありません。あなたの大切な家族や恋人、好きな人が明日生きている証拠はどこにありますか。

 私からの最後のお願いです。今普通に生きれているなら産んでくれたご両親に感謝してあげてください。大切な人に言えるうちに「大好き」と言って寄り添ってあげてください。今辛い思いをしている人がいればこんな奴でも生きていこう?と思ってるならやってみようかな程度でもいいので前に進めるお手伝いができれば幸いです。身近に苦しんでいる人や悲しんでいる人がいるなら、「頑張れ!」でなく、「一緒についてるぞ!、応援してるぞ!」と声をかけてあげてください。そして、何気なく見てくださった方へ、生きているって何だかんだで絶望成分の方が多いと思います。でも、絶望してからこそ何気ないことが幸せに感じるものです。私は、朝にペットのデグーを見て、フルーツたっぷりのシリアルを食べることが最高に幸せです。生きるって本当に辛い。でも何となくでもやっていけると思ってください。

1人でも多くの人がこれを見て励みや明日も頑張るかと思っていただければ幸いです。